| 1947 | ◇3月25日、イギリス・ミドルセックス州、ピンナーに生まれる。 本名はレジナルド・ケネス・ドワイト(Reginald Kenneth Dwight)。 |
| 1958 | ◇ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックへ入学。 |
| 1964 | ◇アカデミー卒業後、ミルズ音楽出版社に就職。ブルーソロジー結成。ブルーソロジー時代には '67年までに3枚のシングルを発表。ロング・ジョン・ボールドリーのバックバンドも務める。 |
| 1967 | ◇新聞広告のタレントオーデションに応募。落選したものの、3歳年下の詩人、バーニー・トーピンと 運命的な出会いをする。二人は意気投合しコンビで曲作りを開始。 |
| 1968 | ◇エルトン・ジョンと名乗りソロ・デビュー・シングル「I've Been Loving You」を発表。ちなみに芸名は、ブルーソロジー時代の仲間エルトン・ディーン(元ソフト・マシーン)と ロング・ジョン・ボールドリー、それぞれのファースト・ネームから取ったもの。芸名のフルネームはエルトン・ヘラクレス・ジョン Elton Hercules John。 |
| 1969 | ◇デビューアルバム「Empty Sky」を発表。 |
| 1970 | ◇ロンドンにてデビューライブを開催。次いでアメリカ・LAのトルバドールにて米公演も実施。 ◇ガス・ダッジョンをプロデューサーに迎え、セカンド・アルバム「Elton John」、第3弾アルバム「Tumbleweed Connection」を相次いで発表。 ◇シングル「Border Song」が初チャート・イン。 |
| 1971 | ◇シングル「Your Song」が英米で初のトップ10ヒット。 ◇映画「Friends」のサウンドトラック盤、初のライブ盤「17-11-70」を発表。 ◇初の来日公演。シングル「It's Me That You Need」が日本で大ヒット(オリコン・チャート最高位 13位)。 ◇アルバム「Madman Across The Water」を発表。 |
| 1972 | ◇アルバム「Honky Chateau」が初の全米No.1に輝く。 |
| 1973 | ◇シングル「Crocodile Rock」が全米シングル・チャートNo.1に輝く。この曲を収録した
アルバム「Don't Shoot Me I'm Only The Piano Player」も英米でNo.1を獲得。 ◇マネージャーのジョン・リードと共に自らのレコード・レーベル「ロケット」を設立、キキ・ディーの売り 出しや、ニール・セダカのカム・バック等に力を注いだ。 ◇アルバム「Goodbye Yellow Brick Road」を発表。8週間No.1、91週チャート・インを果たすビッグ・ セラーとなる。'74年度のビルボード誌年間アルバム・チャートNo.1に輝く。 |
| 1974 | ◇2度目の来日公演。 ◇アルバム「Caribou」を発表。 ◇初のベスト盤「Greatest Hits」を発表。10週連続No.1を獲得、'75年度ビルボード誌年間アルバム チャートNo.1に輝く。 |
| 1975 | ◇ザ・フーのロック・オペラの映画版「Tommy」にピンボールの魔術師役で出演。 ◇デビュー・アルバム「Empty Sky」を再発売。 ◇アルバム「Captain Fantastic & The Brown Dirt Cowboy」を発表、全米チャート史上初の初登場No.1の偉業を達成する。 ◇アルバム「Rock Of The Westies」を発表、前作に続いて全米で初登場No.1を獲得、2作連続の 記録達成もエルトンが初めて。 |
| 1976 | ◇2枚目のライブ・アルバム「Here & There」を発表。 ◇キキ・ディーとのデュエット・シングル「Don't Go Breaking My Heart」を発表、英国で初のNo.1を 獲得。 ◇自ら立ち上げたロケット・レコードから第1弾アルバム「Blue Moves」を発表。この頃からエルトン人気にかげりが見え始める。 ◇「ローリングストーン誌」の中でバイセクシャルであることをカミングアウト。 |
| 1977 | ◇ウェンブリーでの公演中に引退を表明、約2年間にわたり音楽活動を休止。 ◇「Greatest Hits Vol.2」を発表。 |
| 1978 | ◇バーニー、ガスらと決別し、新たにゲイリー・オズボーンらを迎えて作られたアルバム「A Single Man」を発表。 |
| 1979 | ◇ソウル系、ディスコ系の大物プロデューサーを迎えて「Thom Bell Sessions」、「Victim Of Love」を
発表、 ファンを驚かせる。 ◇北欧公演を機にコンサート活動を再開。西側のポップ・スターとしては初めてのソ連公演を敢行。 |
| 1980 | ◇バーニー・トーピンらと復縁、新たにクリス・トーマスをプロデューサーに迎え作られたアルバム「21 At 33」を発表。 |
| 1981 | ◇アルバム「The Fox」を発表。 |
| 1982 | ◇アルバム「Jump Up」を発表。 |
| 1983 | ◇バーニーとのコンビ完全復活となったアルバム「Two Low For Zero」を発表。 |
| 1984 | ◇アルバム「Breaking Hearts」を発表。 ◇かってのエンジニアだったレナータ・ブラウエルと結婚。 |
| 1985 | ◇世界中の音楽ファンの話題となったライブ・エイドに出演。 ◇約15ヶ月に及ぶライブ・ツアー「ツアー・デ・フォース」をスタート。 ◇ガス・ダッジョンを再びプロデューサーに迎えたアルバム「Ice On Fire」を発表。 |
| 1986 | ◇ディオンヌ&フレンズの一員として発表したシングル「That's What Friends Are For」が全米No.1
ヒット、'86年度年間シングル・チャートでもNo.1に輝く。 ◇アルバム「Leather Jackets」を発表。この時点で、デビュー作、ライブ・アルバム、ベスト盤を除き、全米トップ40ヒットを生まなかった初のアルバムとなった。 |
| 1987 | ◇ディオンヌ&フレンズの「That's What Friends Are For」が第29回グラミー賞最優秀デュオ/グループ賞を獲得。エルトン初のグラミー獲得となった。 ◇3枚目のライブ・アルバム「Live In Australia」を発表。この頃から喉の状態が悪化。 ◇日本の歌謡番組に、ロンドンからの衛星生放送を通じて出演、生演奏を披露した。 |
| 1988 | ◇悪化していた喉の手術を行なう。 ◇レナータと離婚。破格の慰謝料が話題になる。 ◇アルバム「Reg Strikes Back」を発表。 ◇エリック・クラプトン来日公演の特別ゲスト、という形で3度目の来日を果たす。 |
| 1989 | ◇アルバム「Sleeping With The Past」を発表。 ◇シングル「Sacrifice」がソロ名義としては初の全英No.1に輝く。 |
| 1990 | ◇チャリティ・アルバム「Romanian Angel Appeal」に参加。 ◇全英で2枚組ベスト盤「A Very Best Of Elton John」を発表。 |
| 1991 | ◇チャリティ・アルバム「For Our Children」に参加。 ◇アルコールと薬物依存症の治療のため入院。 ◇4枚組CDBOXセット「To Be Continude」を発表。 ◇エルトンとバーニーのトリビュート・アルバム「Two Rooms」が発表される。 |
| 1992 | ◇1月15日、エルトン・バンドのオリジナル・メンバーだったディー・マレーが癌により死去。享年45才。 ◇第34回グラミー賞でJames Galwayの「Basque」によって最優秀インストルメンタル作曲賞を受賞。 ◇コカコーラ社のTVCMに出演、日本を含む世界22ヶ国で放映された。 ◇アルバム「The One」を発表。アルバムの発売に合わせて行なわれたワールド・ツアーは世界24 ヶ国、計150公演行なわれた。 ◇エルトン・ジョン・エイズ基金を設立。 |
| 1993 | ◇アルバム「Duets」を発表。 |
| 1994 | ◇ディズニー映画「Tne Lion King」のサウンドトラック盤を発表。 ◇ロックの殿堂入りを果たす。 |
| 1995 | ◇アルバム「Made In England」を発表。 ◇21年ぶりの単独による日本公演のため来日。 ◇第37回グラミー賞で「The Lion King」からのシングル「Can You Feel The Love Tonight」により 最優秀男性ポップ・ボーカル賞を受賞。同曲は第67回アカデミー賞の最優秀オリジナル主題歌賞にも輝く。 ◇ビリー・ジョエルとのFace 2 Faceツアーを展開。 ◇アルバム「Love Songs」を発表。 ◇音楽活動と慈善運動の功績に対し大英帝国勲章(CBE)を授与される。 |
| 1996 | ◇ディズニー製作のミュージカル「AIDA」に参加。 |
| 1997 | ◇3月25日、50歳の誕生日を迎える。 ◇TVドキュメンタリー「Tantrums And Tiaras」にて、同性愛者であることを改めてカミングアウト。 ◇親友であった世界的なデザイナー、ジャンニ・ヴェルサーチ氏が射殺される。 ◇8月31日、親交の厚かったダイアナ元皇太子妃が交通事故で死去。ウエストミンスター寺院での葬儀でエルトンは追悼歌を熱唱。葬儀後、ジョージ・マーチンの プロデュースで同曲を録音、「Candle In The Wind 1997」として発表される。同曲はシングル売上枚数のギネス新記録となり、'97年度年間シングル・チャートのNo.1に 輝いた。この曲によりエルトンが得る収益金は全てダイアナ基金に寄付 された。 ◇アルバム「The Big Picture」を発表。 ◇音楽と慈善事業への貢献を理由に「サー」の称号を伴うナイト爵位を受ける。 ◇第39回日本レコード大賞の特別賞を受賞。 |
| 1998 | ◇ビリー・ジョエルとのジョイント来日公演。 ◇第40回グラミー賞で「Candle In The Wind 1997」により最優秀男性ポップ・ボーカル賞を受賞。 |
| 1999 | ◇アルバム「Elton John & Tim Rice's AIDA」と映画のサントラ盤「The Muse」を発表。 ◇ビルボード誌シングル・チャートにおいて、'70年「Your Song」から'99年「Written In The Stars」まで、トップ40ヒットを30年間連続チャート・イン、という記録を達成した。 |
| 2000 | ◇第42回グラミー賞で特別功労賞を受賞。 ◇ドリームワークス製作のアニメ映画のサントラ盤「The Road To El Dorado」を発表。 ◇シングルヒット中心に構成されたアニバーサリー・ライブ盤「Onr Night Only」を発表、このライブの 模様は後にDVD化された。 |
| 2001 | ◇第43回グラミー賞で「Aida(オリジナルキャスト盤)」が最優秀ミュージカル・アルバム賞を受賞。 ◇アルバム「Songs From The West Coast」を発表。 ◇6年ぶりの来日公演。 |
| 2002 | ◇エリザベス女王即位50周年記念コンサートに参加。 ◇母校ロイヤル・アカデミーから名誉博士号を授与される。 ◇7月21日、'70年代数多くのエルトン作品をプロデュースしたガス・ダッジョンが交通事故死。 ◇ベスト盤「Greatest Hits 1970-2002」を発表。 |
| 2003 | ◇ブロードウェイ・ミュージカル「The Vampire Lestat」の音楽をバーニーと共に担当する事を発表。 ◇‘79年の楽曲「Are You Ready For Love」が英国でシングル・カットされ、シングル・チャート第1位を獲得した。 |
| 2004 | ◇2月からラスベガスのシーザーパレス・コロシアムにおいて、約3年に渡る長期公演「The Red Piano」をスタート。 ◇アルバム「Peachtree Road」を発表。 ◇かねてから交際していたデヴィッド・ファーニッシュ氏との結婚を宣言。 |
| 2005 | ◇スマトラ沖地震・津波被害救済のチャリティ番組とシングル盤制作に参加。 ◇ミュージカル「リトル・ダンサー〜Billy Elliot」に書き下ろしの楽曲を提供。 ◇エルトンの「Indian Sunset」をフューチャーした故2Pacのシングル「Ghetto Gospel」が英国のシングル・チャート第1位に輝いた。 ◇「Captain Fantastic・・・」の発表30周年記念として、「Captain・・・」の収録全曲のライブ録音盤との2枚組デラックス・エディションが発売された。 ◇12月21日、デヴィッド・ファーニッシュ氏と結婚。 |
| 2006 | ◇UKの音楽雑誌MOJO誌から功労賞を贈られる。 ◇ミュージカル「Lestat」が不評のため約1ヶ月でブロードウェイ公演を打ち切り。オリジナル・キャスト盤のアルバムも制作されず。 ◇44枚目のオリジナル・アルバム「The Captain And The Kid」を発表。 |
| 2007 | ◇3月25日、60歳の誕生日を迎える。MSGにてバースデー記念ライブを行う。このライブの模様はMSNにより無料ネット配信された。 ◇還暦記念としてベスト盤「Rocket Man:The Definitive Hits」をリリース。 ◇故ダイアナ元英国皇太子妃の没後10周年追悼コンサート「Concert For Diana」に参加。 ◇還暦記念ライブのDVD「Elton 60: Live At Madison Square Garden」をリリース、ビルボード・音楽DVDチャートで2週連続の第1位を獲得。 ◇11月20日・21日、6年ぶりの来日公演を初のソロコンサートとして開催。 |
| 2008 | ◇アルバム「Elton John」と「Tumbleweed Connection」のデラックス・エディション(各2枚組)をそれぞれ発表。 |